皆さん、こんにちは!

今日は久しぶりに金融関係の話題を取り上げたいと思います。
2021年明けからアメリカ長期国債の金利が上昇しています。これに伴って、昨年2020年の株高をけん引したGAFAM(M: Microsoft)やIT、SaaSなどのハイテク企業、いわゆるグロース株の株価が下落しました。

株式投資において、意外と長期金利の重要性が認識されていなかったり、仮に認識していてもどうして長期金利の上昇が株価の下落につながるか、その仕組みを理解していない人は多いのではないでしょうか。

そういうわけで、今回はアメリカ長期国債の金利上昇がグロース企業の株安を引き起こしたメカニズムを説明しようと思います。仕組みがいささか複雑なので、何段階かに分けて説明しようと思います。

目次としてはこんな感じです。
1.長期国債の金利上昇の仕組み(今回)
2.WACC(加重平均資本コスト)とは何か(次回以降)
3.グロース株が売られた理由(次回以降)

1. 長期国債の金利上昇の仕組み
(債権の価格と金利の関係)
 まず、市場で取引される国債の金利が上昇するメカニズムを説明します。国債は額面と利子があらかじめ決められています(変動金利の国債もあります)。例えば額面100円、利子10円/年、満期10年の国債を考えます。この国債を額面通りの100円で買った人は償還までに毎年10円の利子を受け取ります。そのためこの人にとって債権の金利は年利10%となります(単純化のための割引現在価値の考え方は適応しません)。

 この債券は償還前の10年間の間の任意のタイミングで市場で取引することができます。市場での債券の価格は需給によって変動します。例えば債権を買う人が多くなれば、債権の価格が110円、120円と上昇します。しかし、債権の利子は10円のままなので金利は9.1%、8.3%と低下していきます。

 一方で、債券を買う人が減れば債権の価格は90円、80円と低下します。利子は10円のままなので金利は11%、12.5%と上昇します。

 まとめると、債券価格が上昇すれば金利は低下し、債券価格が低下すれば金利は上昇します。このように債権は価格の上昇と金利がトレードオフになっています、

(アメリカ長期国債の金利上昇メカニズム)

        スクリーンショット (153)
(出典:https://fund.smbc.co.jp/smbc/qsearch.exe?F=mkt_bond_detail&KEY1=BUSG.10Y/USGT&CTYPE=2)

 それでは、具体的にアメリカ長期国債の金利が上昇したメカニズムを見ていきたいと思います。ここでいう長期国債とはアメリカ10年国債を指しています。アメリカ10年国債の金利はコロナショックによって大きく下落し、昨年には0.5%台を付けたこともありました。しかし、2020年後半からは上昇に転じ、2021年1月に入ってからは上昇のペースが速まっていました。

 債券価格が低下すると金利が上昇するということは先に説明しました。それでは、今回はどのような理由でアメリカ国債が売られたのでしょうか。

(アメリカ国債が売られた2つの理由)
 アメリカ国債が売られた理由は大きく分けて二つあると思います。一つ目はバイデン政権の巨額の経済対策の財源が国債発行で賄われること。二つ目はワクチン接種の加速で経済再開が進み、アメリカ経済が早期に回復するという期待です。

 3月11日にバイデン政権下で総額1.9兆ドル(200兆円)規模の新型コロナウィルス経済対策法が成立しました。この経済対策には一人当たり最大1400ドルの現金給付や失業給付の9月までの延長などを含みます。この大規模な財政出動は国債発行によって賄われるという点がポイントです。

 この巨額の財政出動のための発行された国債は、国債の供給過剰をもたらします。需要供給曲線を思い出してもらえれば分かりますが、供給過剰は価格の低下をもたらします。経済対策を賄うために発行された国債によって、国債の供給過剰が生じ、それが国債価格の低下をもたらし、最終的に金利の上昇につながったと考えられます。

 もう一つの要因は、アメリカ国内でワクチン接種が進み、早期の経済再開の見通しが立ったことです。日経新聞の世界のコロナワクチン接種状況のページを見ると、4月2日時点でアメリカの累計接種回数は1.5億回を超えています。これはアメリカ国民100人当たり45人が1回は接種している計算になります。(参考:https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-vaccine-status/)

 こうしたワクチン接種の進展もあって、アメリカでは早期の経済再開に対する期待が上昇しています。これに伴って、FRB(アメリカ連邦準備制度理事会。アメリカの中央銀行に相当)は最新の予想で2021年のアメリカのGDP成長率の予想を6.5%に上方修正しました(2月時点では4.5%と予想)(参考:https://jp.reuters.com/article/fomc-idJPKBN2B92T6)。

 長期金利の一つの性質として、ある程度の時間軸で見た場合、基本的に名目GDPの成長率に収斂するというものがあります(参考:https://www.sbbit.jp/article/fj/55539)。FRBのGDP予想の上方修正は、市場参加者に名目GDPが今後増加するだろうという予想を抱かせました。

 GDPが増加し、経済が好景気になればインフレが進みます。インフレはお金の価値の相対的な低下を意味します。つまり、額面100円の国債をずっと持っているとインフレに伴ってその額面の価値が年々下がっていくということになります。

 したがって、アメリカのおける予想GDP成長率の上昇とそれに伴う予想インフレ率の上昇から債権を売る動きが出たと考えられます。

(まとめ)
 だいぶ長くなってしまったのでいったんここでまとめますね。まとめるとこんな感じになると思います。
 
①債券価格が上がる(債権が買われる)と金利は低下する。債券価格が下がる(債権が売られる)と金利は上昇する。

②債券の価格と金利には上記のようなトレードオフがある。

③アメリカ長期国債が売られたことで、長期国債の金利が上昇した。

④バイデン政権の大規模な経済対策は国債の供給過剰をもたらし、それが国債価格の低下をもたらし、金利の上昇につながった。

⑤コロナワクチンの接種の進展がアメリカのGDP成長率、インフレ率の予想を上昇させ、それによって国債が売られ、金利の上昇につながった。

 今回の内容は大学の講義や自分のこれまでの学習を踏まえて書いてます。僕は大学でガチで経済学を専攻しているわけではないので一部に説明不足や間違いがあるかもしれません。見つけた方はどしどしご指摘ください!質問でもかまいません。

 今回は肝心のグロース株が売られた理由まで到達できませんでしたが、つづきについても近々更新したいと思いますので、次回以降も読んでもらえたら嬉しいです!
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皆さん、こんにちは!というよりは、お久しぶりです!
新年度あけましておめでとうございます!

浪人の僕は高校の現役組がいよいよ社会人デビューをしたり大学院に進んだりして、いよいよ自分も来年は大学卒業か~と焦り半分、期待半分に過ごしています。

今日は、この前使っていたiPhoneを失くしたことについて書きたいと思います。

先日、外出先でiPhoneをなくしました。
このiPnoneは大学に入ってからの付き合いで、かれこれ3年、今年で4年目です。中には自分が大学在学中に行った色んな国で撮った写真やサークル、友達と撮った写真など思い出の写真が数千枚は入っていました(一部の写真はLINEのアルバムに入っていたんですが、トルクメニスタンで撮った写真など他の写真はバックアップをとっていなかったのでショックでした)。

また、新しいiPhoneに換えても前に使っていたiPhoneが無ければLINEが引き継げないんじゃないか、そうなれば今までの友人や知人の連絡先を復元するのはほぼ不可能だろうと、いろいろ不安になりました。

同時に、現代社会を生きる自分がどれほどスマートフォンに依存しているかということを改めて感じました。スマートフォンは連絡手段という本来の機能のほかに、ネット接続を通じた情報収集、画像・映像の撮影と保存を通じた外部記憶としての役割、SNSを通じた新たな関係性の構築や情報の発信など非常に広範な役割を担っています。

そして、スマートフォンのそうした機能に依存して生きていることに知らず知らずのうちに無意識になっていたなと感じました。

同時に、「スマートフォンを使える」ということは様々な人々の活動、条件の上に成り立つある種の奇跡的なことだと思いました。

まずは、スマートフォン、僕の場合はiPhoneですが、これが手元にあるということはグローバル・サプライ・チェーンの前提失くしてはあり得ません。

アメリカのApple社で開発され、台湾の半導体や日本のディスプレイなど世界中の国々で生産される多量の部品が組み立てられ、輸送され、最終消費者である私たちのところに届きます。

その過程が成立するためには、各国の企業間の円滑な意思疎通のための情報インフラや、安全な海上交通、国家間の安定した外交関係、各国の工場で働く人が必要です。こう考えてみればiPhoneが手元にあること、そして代わりのiPhoneを入手しようと思えば短期間で代替機を確保できることというのはすごいことだと思います。

iPhoneが手元にくると、次は通信インフラが必要になります。僕はよく山に登るのですが、最近はありがたいことに、多くの人が来る山や関東近郊の山域では山の中でも電波が通ります。また、都心の一部の地域では5Gという高速回線の仕様も可能になりつつあります。

こうした通信インフラが国土の隅々まで張り巡らされているおかげで、私達は外出中も旅先でもLINEを使って友達に経験を共有したり、インスタグラムに写真を上げることができます。

当たり前のことを話しているように思う方もいるかもしれませんが、こうした様々な条件がそろって初めて「スマートフォンが使える」ということが実現していると思うとなかなか感慨深くなりませんか?(僕は今回なりました笑)

このスマートフォンは一例ですが、このほかにも便利な文明社会を実現するためには様々な人々の活動、条件がかさなっているんだと思います。普段生活していると、どうしても「あって当たり前」、「使えて当たり前」だと感じてしましますが、やはりそういうもののありがたみは失ってから気づくものだなと思いました。

日々の日常の中の当たり前が色々な人の活動や条件の積み重ねによって支えられているということに感謝するとともに、自分もやがては誰かの当たり前を支えられる人間になりたいなと思います。(iPhonoe失くしたところからだいぶ話が飛躍してしまって気がするけど、まあいいか笑)

P.S. 失くしたiPhoneは数日後に拾われて無事に手元に帰ってきました。月並みな表現ですが、日本は落とし物に優しいお国柄だと改めて感じました。拾ってくれた方ありがとうございました。 東大生ブログランキング


 皆さん、こんにちは!!

 今年も早くも師走ですね。今年はコロナのせいであまり出かけられなかったり、いろいろな制約があったりであまり何かをしたという実感がないです。そのせいか、一年がたつのがあっという間だったように思います。

 今日は、この前友人と話していて興味深く思ったことを話します。

 その友人も私も人の話を聞くことが好きという共通点がありました。なので、「人の話を聞く」時にどんなことを意識すべきかという話をしました。

 色々話す中で、人の話を聞くときに先入観や主観をどこまで出すかという話になりました。友人は、普段は現象学的(本人がそう呼ぶ)な話法として、相手の話に対しての先入観を「」に入れて留保する、言い換えれば、先入観を可能な限り排除するといいます。先入観を排除して相手の話を率直に受け入れることで、さらに相手のことを深堀って聞くことができるといいます。

 なるほど、もっともです。先入観を持つと、相手の言ったことを自分の中で勝手の解釈して理解した気になってしまうことがあります。先入観を排除することで、相手がどうしてそう思ったのか、どうしてそのように行動したのだろうかといった新たな疑問が浮かびます。また、相手の属性だけでその人を解釈しその行動や思考を意味づけるといった短絡的なことも防げます。

 まあ、ここまでだとよくある「人の話を聞くときは先入観を持たずに聞きましょう」という教訓話で終わってしまいます。

 その友人はこの「話を聞くときの先入観や主観」という問題についてもう一つに視点を持っていました。

 その友人がある友人と会話をしていた時に、「(友人)には私がそういう風に見えてたんだ、それを話してくれてありがとう。」と言われたそうです。この時、友人は、他人から自分がどう見えているのかを知りたい人もいるんだということを知ったそうです。

 話が少しそれますが、この「他人から見た自分」を知りたいという気持ちは多くの人が持っているのではないでしょうか。

 他人から見た自分はアイデンティティを形成するうえでも重要です。人は自分の自分自身へのイメージと他人から見た自分のイメージが一致しているときにアイデンティティの充足を感じます。また、哲学者の鷲田清一さんも、人間は他者との関りの中で自己像を獲得するといっています。フロイトも人は他人から見た自己像を自分自身の自己像として借用するといっています。

 友人は、その意味において、自分が人に対して持った主観的な印象をその人にある程度伝えることも重要だと思ったそうです。

 そう考えると、人の話に対して先入観や主観を、特に主観を完全に排するということは、その人に自分から見たその人のイメージを伝えるという点で不都合があります。

 ここで、人の話を聞くときに先入観や主観を排除するべきかどうかというアンビバレントな問題が発生します。

 相手のことを深く知ろうと思えば、先入観、主観を可能な限り排除したほうがいいような気もしますし、一方で、相手に自分から見た相手の印象を伝えようと思うと主観的にならざるを得ません。

 もちろん、話す相手との親密度や場面などの状況に応じて変わってくる話ではあります。そもそも全ての人が他人から見た自分を知りたがっているわけでもありません。さらに、人が話を聞くときにどんなに意識しても完全に先入観を排除することもできませんし、人が「主観的な」解釈を行わなければそもそも相手の話を理解することさえできないという議論もあるでしょう。

 そういった意味でこの議論はもう少し精緻化が必要ではあります。ただ、この話から、その友人が人の話を聞くということを真剣に考えていることが伝わってきましたし、それは素敵なことだと思いました。普段何気なくやっている「話す」という行為についてよく考えてる友人の話を聞いて、自分も改めて「話す」ということを考えてみようと思った次第です。


 ここのところだいぶ寒くなってきまして。皆さんもお身体にお気をつけて! 東大生ブログランキング

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