金融リテラシーの話の途中だけどいったん休憩して最近考えたことについて書きたいと思う。

 つい先日、ブックオフにいらないゲームソフトを売りに行ったんだ。6本のDSのソフトと1本のPSPのソフトを売って1480円になった。正直、自分としては全部で500円も行けばいいと思ってたから驚いた。同時に、中古買取の中に人間の欲望に関する面白い性質があるように感じたんだ。

 僕たちが何か製品を買うときって、自分が支払う金額と自分がその製品に見出した価値が等しいと感じる時だよね。つまり、ここでは等価交換が成立してる。でも大抵の物って使っていくうちに価値が無くなっていくように感じるよね。シャンプーとか調味料とかの消費財はそもそも使えばなくなっちゃうしさ。

 ここでは、ゲームソフトとか車、衣服なんかの比較的長く使える物に話を限定しよう。さっき僕が書いた「自分がその製品に見出した価値」があったよね。これを仮に「見なし効用」って呼ぼうか。効用ってのは経済学の用語で個人が得る満足感を表すんだ。僕らが物を使っているとだんだんとこの「見なし効用」が減っていくんだ。

 最初は楽しかったゲームに飽きたり、新しい服を買って前の服がいらなくなったりって感じでね。そして最終的にはいらなくなって(「見なし効用」がゼロになって)中古買取に出す。そして、自分にとっては全くいらない無価値なものと交換にお金が手に入る。僕らとしては無価値の物がお金になったんだから万々歳だよね。でも話は続くんだ。

 買取業者は買い取った中古品に利益を上乗せして新たな買い手に売るんだ。ここで面白いのは、新たな買い手は元の持ち主にとっては無価値で、その上に「買取業者の利益」が上乗せされた価格(定価)と自分がその物に見出している価値(新たな買い手の「見なし効用」だね)が釣り合っていると考えているんだ。

 ようは、ある人にとって無価値な(効用を生まない)物が別な人のために価値(効用)を生み出すってことだ。

 言葉足らずな説明で混乱させちゃったらごめん。でも、個人的には上に書いた中古買取における現象はとても興味深かったんだ。

 経済学には、「人間全体の欲望は人間が利用し得る資源量を超えている」っていう共通認識みたいなものがある。だから、どう資源を配分していくかは経済学にとって重要な研究領域なんだ。

 今回の中古買取で面白かったのは、僕ら人間の欲望が主観的であるってことを改めて気づかせてくれたこと。同じ物に対しての個人の価値付けは千差万別だ。逆に個人には価値が無いものでも他人の欲望の対象になる。

 大量生産・大量消費の資本主義社会では一回使われただけで捨てられてしまったり、無駄に生産してしまって製品が余ってしまったりってことがしょっちゅう起こるけど、中古品の流通を活性化させることで、限られた資源で多くの人の欲望を満たせるんじゃないかなって考えたわけ。

 最近は情報通信技術が活性化してきて「メルカリ」とかの中古品を個人でも取引しやすくなってきてる。これは限られた資源を有効活用するって意味ではとてもいいことだと思う。

 これ書きながら、GW中なんだけどブックオフぐらいしかいてねーよって悲しくなった(泣)もうGWも最終日だけど皆どんなところ行ったのかな?
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