皆さん、こんにちは!というよりは、お久しぶりです!
新年度あけましておめでとうございます!

浪人の僕は高校の現役組がいよいよ社会人デビューをしたり大学院に進んだりして、いよいよ自分も来年は大学卒業か~と焦り半分、期待半分に過ごしています。

今日は、この前使っていたiPhoneを失くしたことについて書きたいと思います。

先日、外出先でiPhoneをなくしました。
このiPnoneは大学に入ってからの付き合いで、かれこれ3年、今年で4年目です。中には自分が大学在学中に行った色んな国で撮った写真やサークル、友達と撮った写真など思い出の写真が数千枚は入っていました(一部の写真はLINEのアルバムに入っていたんですが、トルクメニスタンで撮った写真など他の写真はバックアップをとっていなかったのでショックでした)。

また、新しいiPhoneに換えても前に使っていたiPhoneが無ければLINEが引き継げないんじゃないか、そうなれば今までの友人や知人の連絡先を復元するのはほぼ不可能だろうと、いろいろ不安になりました。

同時に、現代社会を生きる自分がどれほどスマートフォンに依存しているかということを改めて感じました。スマートフォンは連絡手段という本来の機能のほかに、ネット接続を通じた情報収集、画像・映像の撮影と保存を通じた外部記憶としての役割、SNSを通じた新たな関係性の構築や情報の発信など非常に広範な役割を担っています。

そして、スマートフォンのそうした機能に依存して生きていることに知らず知らずのうちに無意識になっていたなと感じました。

同時に、「スマートフォンを使える」ということは様々な人々の活動、条件の上に成り立つある種の奇跡的なことだと思いました。

まずは、スマートフォン、僕の場合はiPhoneですが、これが手元にあるということはグローバル・サプライ・チェーンの前提失くしてはあり得ません。

アメリカのApple社で開発され、台湾の半導体や日本のディスプレイなど世界中の国々で生産される多量の部品が組み立てられ、輸送され、最終消費者である私たちのところに届きます。

その過程が成立するためには、各国の企業間の円滑な意思疎通のための情報インフラや、安全な海上交通、国家間の安定した外交関係、各国の工場で働く人が必要です。こう考えてみればiPhoneが手元にあること、そして代わりのiPhoneを入手しようと思えば短期間で代替機を確保できることというのはすごいことだと思います。

iPhoneが手元にくると、次は通信インフラが必要になります。僕はよく山に登るのですが、最近はありがたいことに、多くの人が来る山や関東近郊の山域では山の中でも電波が通ります。また、都心の一部の地域では5Gという高速回線の仕様も可能になりつつあります。

こうした通信インフラが国土の隅々まで張り巡らされているおかげで、私達は外出中も旅先でもLINEを使って友達に経験を共有したり、インスタグラムに写真を上げることができます。

当たり前のことを話しているように思う方もいるかもしれませんが、こうした様々な条件がそろって初めて「スマートフォンが使える」ということが実現していると思うとなかなか感慨深くなりませんか?(僕は今回なりました笑)

このスマートフォンは一例ですが、このほかにも便利な文明社会を実現するためには様々な人々の活動、条件がかさなっているんだと思います。普段生活していると、どうしても「あって当たり前」、「使えて当たり前」だと感じてしましますが、やはりそういうもののありがたみは失ってから気づくものだなと思いました。

日々の日常の中の当たり前が色々な人の活動や条件の積み重ねによって支えられているということに感謝するとともに、自分もやがては誰かの当たり前を支えられる人間になりたいなと思います。(iPhonoe失くしたところからだいぶ話が飛躍してしまって気がするけど、まあいいか笑)

P.S. 失くしたiPhoneは数日後に拾われて無事に手元に帰ってきました。月並みな表現ですが、日本は落とし物に優しいお国柄だと改めて感じました。拾ってくれた方ありがとうございました。 東大生ブログランキング